shin-zen-bi-0221の日記

あくせくした毎日の中で ふと自分に戻れた瞬間を書き留めたいなと思っています

母親のメンタル

人の前で 子どもに優しくできない

それは 自分のあるべき姿を崩せないから

周囲への 自分のイメージを植え付けるため

 

それは 結局 子どものためには ひとつもプラスではない

 

自分のあるべき姿とは

強くて しっかりしていないといけない。

周りにそう見られたい、周りの期待に応じたい

 

でも 最近、なんだか 優しくなってきたな、自分と感じる

自分が 満たされようとしている

気持ちが弾みそうになって 押さえつけているくらい

女性としての充実を求めることで、

女性という性を受け入れようとしている

こどもとの関わりにおいても、

女性らしさが すんなりと表せる

母親の充実は 子どもの健全な発育に重要なのかもと。

 

悪いことじゃないのかもな

 

ふたりでいる時に 優しく接することを繰り返すことで、外に行っても出来るようになるよ。

それが 当分の目標かな。

 

 

毎日のこと

朝になると

今日は 保育園あるの?

行きたくない・・・行きたくないーーー

 

お迎えに行くと

「おかあさーーーん」と 大きな声で

遠くからでも叫びながら飛んでくる

 

今日もか・・・ 

おかあさんだって 仕事行きたくないよ

金のためなんだよ 育てるためなんだよ

 

おっきいな 声・・・

うれしいような 恥ずかしいような・・・

 

毎日毎日 見る光景、感じる思い

でも いつか、いずれくるいつかを考えると

さみしいような ・・・うん、さみしい

 

今を、おかあさんをさせてもらっていることを、ありがとうと 噛み締めている

 

 

「しっかりお話しできるんだね」

最近 周りの知り合いや友人から、よく言ってもらう 一言。

 

3才8ヶ月になる うちの息子は、

よく しゃべる。ずっとしゃべっている。

静かなのは テレビを見ている時だけではなかろうか。

 

言葉を考えて 自分の口から発するという一連の流れを行うこと自体は、褒めてあげたい。

 

しかし 彼の背景にあるものは なにか。。。

わたしが仕事でいないことが多いがための、

その寂しさからの反動か。

自分に目を向けてもらおうとする手段のひとつか。

わたしの彼に対する言葉のしつけが厳しすぎるか。

 

ひとつの事象には 安心と不安の両側面がある。