母親のメンタル
人の前で 子どもに優しくできない
それは 自分のあるべき姿を崩せないから
周囲への 自分のイメージを植え付けるため
それは 結局 子どものためには ひとつもプラスではない
自分のあるべき姿とは
強くて しっかりしていないといけない。
周りにそう見られたい、周りの期待に応じたい
でも 最近、なんだか 優しくなってきたな、自分と感じる
自分が 満たされようとしている
気持ちが弾みそうになって 押さえつけているくらい
女性としての充実を求めることで、
女性という性を受け入れようとしている
こどもとの関わりにおいても、
女性らしさが すんなりと表せる
母親の充実は 子どもの健全な発育に重要なのかもと。
悪いことじゃないのかもな
ふたりでいる時に 優しく接することを繰り返すことで、外に行っても出来るようになるよ。
それが 当分の目標かな。
毎日のこと
朝になると
今日は 保育園あるの?
行きたくない・・・行きたくないーーー
お迎えに行くと
「おかあさーーーん」と 大きな声で
遠くからでも叫びながら飛んでくる
今日もか・・・
おかあさんだって 仕事行きたくないよ
金のためなんだよ 育てるためなんだよ
おっきいな 声・・・
うれしいような 恥ずかしいような・・・
毎日毎日 見る光景、感じる思い
でも いつか、いずれくるいつかを考えると
さみしいような ・・・うん、さみしい
今を、おかあさんをさせてもらっていることを、ありがとうと 噛み締めている
「お母さんが 大好きだから」
あなたは 今日も甘えっ子さんだね
うん、お母さんが 大好きだから
ありがとう
お母さんも あなたのことが大好きよ
知ってた?
うん
ありがと
「しっかりお話しできるんだね」
最近 周りの知り合いや友人から、よく言ってもらう 一言。
3才8ヶ月になる うちの息子は、
よく しゃべる。ずっとしゃべっている。
静かなのは テレビを見ている時だけではなかろうか。
言葉を考えて 自分の口から発するという一連の流れを行うこと自体は、褒めてあげたい。
しかし 彼の背景にあるものは なにか。。。
わたしが仕事でいないことが多いがための、
その寂しさからの反動か。
自分に目を向けてもらおうとする手段のひとつか。
わたしの彼に対する言葉のしつけが厳しすぎるか。
ひとつの事象には 安心と不安の両側面がある。